敵を敵と認識できない愚かさ

 実際に商売をしたことがある人ならわかると思うが、商売のライバルというのは、「商売仇」と言ってまぎれもなく「敵」である。仇(かたき)というのは、辞書で調べればわかるが、「うらみのある相手」のことであり、商売仇というのは、まさに叩き潰さなければならない存在である。

 ライバルを叩き潰さなければ自分がいつか潰されると思って間違いない。要は、ライバルというのは目ざわりな存在であり、自分の生活を脅かす最悪の存在であり、何とかして蹴り落としたい存在なのだ。

 商売というのはそれくらいシビアなものであり、生半可なことをしていては生活できないのである。

 ところが、である。

 ところが、なぜか「せどらー」と呼ばれる人種は、ゆとり教育か何かで頭がバカになった中途半端な連中が多いせいか、まったく商売的な厳しさを持ち合わせておらず、ライバルにホイホイとコツだのやり方などを教える「お人よし」ばかりである。

 せどらー同士で飲み会やらオフ会やら、みんなまとめてバカではないのかと結論づけざるを得ない。たぶん、競争で勝ち残るだとか、ライバルを蹴落とすだとか、そういう非情さから無縁のところで自滅していくのだろう。

 商売したいのであれば、ライバルを叩き潰す非情さが必要だ。しのぎを削って相手を叩き潰すのである。生き残りたいのならば、それくらいしなければならないのだが、いったいこの人たちは何を考えているのだろう。

 戦場で「相手を撃ったらかわいそう」と言うばかりか、銃の撃ち方まで教えてニコニコしている兵隊がいたら、誰でも「こいつはバカだ」と思うはずだ。いや、「こいつはただのバカではなく、超がつく大バカだ」と思い直すかもしれない。

 商売というのは日常生活の戦場である。だからこそ、敵を敵と認識できないせどらーはバカと言われても仕方がない存在である。自分がお人よしだと思ったら、そこから改めて、知り合いのせどらーは全員蹴落とすくらいの勢いがある人間だけが成功する。

 もっとも、そんな骨のあるせどらーがいるとは思えないが。なぜなら、そんな人はとっくに別の商売をしているはずだから……。

せどらーと言えばレミングスを思い出す

 レミングというのは、集団行動でいっせいに崖から飛び降りて自殺するので有名な動物だが、彼らは何かに突き動かされているかのように死に向かっていく。せどらーもまた、レミングスにそっくりだ。

 なぜ誰も指摘しないのだろう?

 1円の無価値という死に向かって、誰もが文句を言わずに淡々と死の行進(更新?)をしていくのである。はたから見ていると、淡々と本を無価値にしていく彼らの姿が気持ち悪くて仕方がないのだが、彼ら自身はまったく何も思っていない。

 いや、自分の姿を思い浮かべる想像力が欠けているというのか、客観的に判断ができていないというのか、とにかくその無意味さにおいて、集団自殺するレミングスそっくりである。

 その上、情報商材を売る低俗な詐欺師どもにも食い物にされ、ブログで自分のライバルに優しく語りかけたり、何かを教えたり、あらゆる「自殺行為」を嬉々としてやっているのだから、もうあまりの低レベルぶりに開いた口がふさがらない。

 もう少し、目を開けて自分を見つめてみればどうだろうか?

 まずは、自分がレミングスのようになっていることを客観的に知るのが、せどり=儲かる、という洗脳から覚める第一歩だろう。よく考えてみたほうがいい。誰もがカンタンにできるようなことで儲かると思うのが間違いのはじまりだ。