せどりは限りなく見苦しい

 ブックオフに行くと、携帯電話を取り出して価格を調べている人間をしょっちゅう見かけるが、見苦しい上に、ぶざまで格好悪い。

 これがせどりをする人間の姿なのだが、ブックオフという商売の上に寄生している姿は、たぶん本人が想像している以上に格好悪いと思う。買うのか買わないのか、同じ場所に陣取ってひたすら携帯を売っているわけである。

 他の客もいらいらするだろうが、店側もまたいらいらするだろう。本人たちはビジネスだと割り切っているのだろうが、よくよく考えればつらいビジネスだろうと思う。よくブックオフ側が我慢しているものだとある意味感心するが、まあこんなことは長く続かないだろう。

 どういう形か分からないか、この姿はある日突然破綻するように思う。たとえばアマゾン側が送料を下げるとか、ブックオフ側が価格改定を見直すとか、たったそれだけのことで、せどりビジネスはもろくも崩壊する。こんなビジネスに将来を賭けられるだろうか。もし賭けられるという人間がいたら、たぶん世の中は変わることを知らない人だ。

 ビジネスモデルは人に知られ、真似され、陳腐化された時点で、そのほとんどが崩壊してしまう。せどりはこれだけ人に知られるビジネスになったわけで、そう考えると、たぶんこのビジネスが崩壊するのはそんなに遠い先の話ではないことが分かる。

 誰にでも(つまり素人にでも)真似できるビジネスモデルである時点で、せどりは終わっている。アマゾンで売れるのは業者だけだとか、ブックオフせどりをするのは免許が必要だとか、そういう事態になったら、逆に競争相手が減るので、業者側に転進すれば、せどりビジネスは生き残っていけるだろう。

 今のように免許もいらず、誰もができるようなビジネスモデルである以上、薄利多売で自滅するか、システム変更で根絶やしにされるかの道しか残っていない。何しろ売り物はオリジナリティあるものではない。たんなるコモディティ(陳腐化商品)である。

 見苦しい上に、先がないビジネスだというのが、このビジネスを3ヶ月やってみた私の印象である。