せどらーはお人よし日本人の縮図?

 昔、せどりは儲かったらしい。なぜならライバルが少なかったからである。今、せどりが儲からないのはライバルが多すぎるからである。なぜライバルが多いかというと、誰でも簡単に参加できるというのもあるが、ラットレースに参加している人間が、せどりの情報を公開するからである。

 どういうことかというと、せどりに関するいろんなことをブログに書くものだから、それがためにライバルを膨らませて結果的に自分の首を絞めているわけだ。要は、自分の首を絞める人をブログで募集している(!)ようなもので、それで儲からなくなったと本音をつぶやいているのだから呆れてしまう。

「ここにお金があるよ」と世界中に向かって大声で叫んで、泥棒が入ったら「困ったなあ」と頭を抱えている人と同じだ。傍から見ていると、「お前は馬鹿か」というシュールなことを無自覚にやっているわけである。

 これは皮肉ではなく、私は本心でそういう「お人よしセドラー」を馬鹿だと思っている。まさに「お人よし日本人」の縮図のようなもので、これが中国人なら絶対に口を割らずに一人で儲けているだろう。日本人は商売が下手だというが、こんなところにまで下手さ加減を現しているとは……。

 ブログを書いてアフィリエイトをやって情報発信しているせどらーがいたら、大いなる勘違いをしている世間知らずと思っていい。

売れた、売れなかったと報告するブログ

 ブログというのは公開日記みたいなものだから何を書いてもいいのだが、せどらーは自然に何が売れただとか売れないだとかを書いている。そこにアフィリエイトを貼りつけて、「ぽちっと押せ」と書いて、ランキングが何とかで読者に何かを押させるように誘導して、売れた本のリンクも、アマゾンのアフィリエイトだったりする。迷惑だ。どのリンクを押そうと読者の勝手だ。

 せどりで儲からない分をブログで儲けようという魂胆というか浅知恵みたいなものが全開で、うんざりしてしまうのは私だけではないと思う。もちろん誰が何をして儲けようと関係ない。しかし、そういう儲け主義が先行したブログサイトは、いったい何だと思う。しかも悪いことに、どこを見てもそんなブログばかりでうっとうしいことこの上ない。

 たぶん、そんなブログをやっている本人たちも他のブログを読みにいって、アフィリエイト満載だったり、情報商材を売りつけられそうになったら激怒すると思うが、自分のことになったら棚に上げているようだ。

 いったい、いつから日本人は端から端まで、みみっちいことをするようになったのか知らないが、たぶん根底には楽して儲かればいいや、というどこか底の浅い願望があるのだろう。

 冷静に考えれば、そんなことをいくらやっても儲からないのだからやるだけムダだと思うが、どうせムダなら読者を騙すようなブログの作り方はやめてほしい。

せどりのノウハウ?

 せどりのノウハウを知りたければ金を払え、という情報商材売りのアフィリエイトだが、あまりに馬鹿げていて笑い飛ばす気持ちにもなれない。「儲かるのは商材に法外な値段をつけているあなたでしょ?」とマヌケな顔写真をさらしている情報商材人間に吐き捨てたいくらいだ。

 私は何があってもそんなところにカネを出そうと思わないが。そもそも冷静に考えて、がっぽがっぽ儲かるノウハウをわざわざ人に教えるわけがない。じゃあ、なんであなたがやらないのという話になる。

 その辺に先手を打って「世のため、人のため」と言い訳しているところが、さらにいかがわしさを増している。それなら、無料でそのノウハウとやらを世のため人のために出すべきだ。いずれにしても、あまりに馬鹿馬鹿しくて、情報商材という商材のあるところに近づくのも嫌だ。本当は話題にもしたくない。

 FX系で100%儲かるとブチ上げて読者に損をさせた挙句、裁判沙汰になって弁償を言い渡された詐欺師もいるようだが、こちらの詐欺ビジネスもいよいよ厳しくなるだろう。

 近寄らないに越したことはない。

コモディティ(陳腐商品)を扱う先には絶望的な薄利多売が待っている

 せどりをする人間が扱う商品は誰もが手に入れることができて、誰もが何の工夫もなく売ることができるものなので、これは完全なるコモディティ(陳腐化商品)であると断言してもいい。

 プロから買おうが素人から買おうが、商品自体の付加価値が変わるわけではない。とすれば、客が選ぶ基準はおおよそ価格が安いか高いかでしかなく、それが商品の限りない薄利に拍車をかける。

 かつては1日ごとに、今は1時間ごとに、今後近い将来は出した瞬間に、1円めがけて商品は値崩れをする。すべては1円に収斂されると言っていい。そうなると真っ先にやっていけなくなるのが零細なせどらーだが、巨大な在庫を抱えるプロの業者も、手間ばかりかかってほとんど儲からない利益の薄い商売を強いられるだろう。

 そうやって痛みに耐えても、ライバルが死に絶えていつかは独占的な価格がつけられるようになるかといえば、たぶんそれもない。なぜなら1円めがけてせどりに飛び込んでくる素人が山のように生まれるからである。

 結局、コモディティを扱うビジネスというのは、常に薄利の隣り合わせであり、厳しい商売は延々と続いていく。コモディティ(陳腐商品)を扱う先には絶望的な薄利多売が待っている。

 それが、せどりの真の姿である。私はちょうど3ヶ月目に、それを察して、このビジネスを深追いするのはやめにした。

日に日にクズが積み上がる

 いつか売れるからそのまま在庫を取っておこう、という考え方もあるが、実のところせどりで売れ残った商品というのは、ライバルの過当競争のせいで、あっという間に1円の「クズ」と化して、しかもその1円の出品者が日に日に増えていくから、正直言うとまあ売れやしない。

 1円で売る人が200人もいる本があったりするが、こんなのはもうクズに等しい本だからあきらめたほうがいいだろう。売りたくとも売れないとはこんな本のことを言う。世の中はベストセラー本というのはベストな本だという認識があるが、せどりをする人間にとってベストセラー本というのはほとんどが急激に値崩れを起こすどうしょうもないバッドセラーという認識だ。

 ところが、アマゾンで出品していると、いずれすべての本が「価格1円、出品者200人」とかになると私は予測している。なぜなら、何度も言うがもう過当競争の世界に入っているからである。堰きとめようとしたところで、それは激流みたいなものだから、自分も一緒に流される。

 つまり、日に日にクズが積み上がる。在庫が増えて嬉しいと思うのは最初の数ヶ月だけで、あとは売れない在庫を抱えて頭を抱えることになる。もっともその在庫を30年くらい抱えていられるのであれば、いつか価値ある古本になる可能性も残されているが、30年後になってもせどりしている進歩のない人間がいたら、そちらのほうが本より価値ある天然記念物になってるかもしれない。

 30年後の話をしてもしかたがないのであれば今の話に戻すが、「価格1円、出品者200人」の本は中身が名作であれ何であれ、ビジネスとして見るとクズである。そして、アマゾンに出品するすべての本は、クズに向かって一直線に動いている。

 そうしているのは他でもない、せどらー自身なのだ。

1円という価格は著者にも失礼

 せどりをしている人が本当に本を愛しているかどうかは疑問で、ただ売れればいいと思っている可能性のほうが高いような気がする。たとえば、1円価格を平気でつけられる人は、どうも著者に対して敬意がないように思える(もっとも私もそれに気がついたのはライターの人と話をしてからなのだが)。

 彼は自分の精魂かけて書いた本がアマゾンで1円で売られているのを知って「まるで自分の価値が1円になったようだ。気分が悪い」と言っていた。確かに、書いた本人から見れば自分の本が1円で売られていたらショックだろうし、「俺の仕事は1円だったのか」と不快な気分にもなるだろう。

 ところが、せどらーはもはやそんな作者の心情を踏みにじるかのように、全員が本を「捨て値」にしていく。そこには競争原理が働いているとはいえ、ブックオフで傍若無人に居座って迷惑をかけ、著者の気分を不快にさせ、自らも薄利多売で苦しんで、かつ将来は厳しいわけだから、正直言うと苦しい商売だ。

 さらに関係者を不快にするのは、例によって下らない内容を情報商材にして売りつけている連中で、こちらは数万円もの金をふんだくっていくわけだから、詐欺師かその類に思われても仕方がない。

 売れれば人を騙してもいいみたいな殺伐とした状況が「せどり」のまわりに漂っていて、それがよけいに部外者から見ると、気味の悪い世界に見える。気がついていないのは、もちろん自己弁護をしなければならない本人だけである。

野菜よりも早く腐る商品

 私はせどりというビジネスがあるということを知るまで、本というものは「腐らない」と思っていた。しかし、せどりを始めて3ヶ月。最近では本は腐っていくものだ、ということを痛感するようになった。

 腐る、というのは価値がなくなる、ということである。アマゾンのマーケット・プレイスに出すと、その瞬間にどんな本でも価格競争に巻き込まれて、限りなく無価値に近づいていく。ライバルが価格を下げるので、負けないためには自分の手で商品を無価値にせざるを得ないのである。

 価値ある商品をせどってきたにもかかわらず、せどらーは全員「自らの手」で商品価値をどんどん殺していく。誰でもできる商売、価格が唯一のアピールである商売は、結局のところ行き着く先は「薄利多売」である。そして、誰もが採算割れギリギリのところに追い込まれて、働けど働けど儲からない事態になる。

 せどりというビジネスモデルはすでに知られすぎているので、先行者利益などとっくになくなっている。あとは体力と忍耐勝負のギリギリで生きていくしかない。何しろ、アマゾンに出した瞬間に値が崩れていくわけだから、野菜より早く腐っていくと言っていい。野菜は冷凍して商品価値を延ばせるが、アマゾンで売る古本は冷凍もできやしない。

 価格しか勝負するものがないのだから、ここから逃れる術はない。そのうち、ありとあらゆるものがすべて1円でしか売れないようになるだろう。これは極論だと思われるかもしれないが、今の動きから推測すると古本はアマゾンで1円で買うものだという認識になると思う。

 仮にそうなったらどうするか。たとえば、30万円を稼ごうと思ったとする。1冊に70円の利益だとしたら、簡単に見積もって計算しただけでも、4285冊売らなければならない計算になる。現実問題、そんな数を個人が売れるはずがない。

 しかし、この商売はそこに向かっているのだから、生き残れるのは在庫を山と持っている薄利多売に耐えられる業者だけになる。せどりは商品自体に付加価値を勝手につけるわけにいかない商売である。そもそも、あれこれ付加価値をつけようと画策した時点でアシが出る。

 そういう商品を誰もが簡単に参入できるような環境でやるわけだから、それはもうあっという間にダメになる商売であることは目に見えている。単純に、1ヶ月2000冊売る自信のない人は生き残れないだろう。ほとんどの人がクリアできないだろうから、ほとんどの人が生き残れない。せどりは、そういう方向に向かっている。